| まえがき(高見国生)
メッセージ(クリスティーン・ブライデン)
ブログの日記(小澤 勲)
第 I 部●孤立しないために
孤立しないために
―社団法人認知症の人と家族の会
第28回総会・支部交流会での発言
私は「私のスタイル」でいきたい
―水木理氏と笙子さんに聞く
第 II 部●ブログ「認知症一期一会」
第1章●「やがて車に乗れなくなります」―診断前後
タイミングがよい
初診
精密検査が必要です
もの忘れ科の受付で
問診
検査日が決まる
初めての機械
再び心理検査
再び心理検査 続き
MRI
検査結果は
アルツハイマー病の初期です
アリセプト5mgを服用する患者となる
第2章●脳には感謝しています―私の心境、思い
クリスティーンさんのこと
妻の顔を忘れたくない
文章を書くことがデキマスカ?
私の質問が読まれる
タクリンを服用する
認知症の段階では
いきなりの検査で
迷わず診てもらえ
みじめ感は辛いです
認知症を抱えた人
孤立感
本人会議のこと
脳には感謝しています
早期発見の検査に思うこと
ETVワイドを見て
希望を捨てていいという段階はない
家にいる安堵感
領収書の整理
主体としての私
10年以上にわたって
メモが取れますか?
励みになる「新薬」という言葉
第3章●同じ本を買ってしまった―私の状態
五目並べ
床屋さんのこと
トリノ
回転すると
無関心
決断
朝食のこと
1年目の検査 2
予約券のこと
トイレを間違える
文字を書くこと
同じ本を買ってしまった
鳴かぬ蛍が
ビデオの使い方が
不思議な脳
あの言葉が出てこない
引き算ができない
数字だけではない
おかしいわけ
露天風呂の短歌
私の場合
失禁
さくら ネコ 電車
時計を合わせる
領収書の集計
らしくない
蛍光灯付け替え
筍をいただく
第4章●2時間ひと区切り―私がしている対策
カーナビをセットする
薬さまさま
5本指の靴下
買物リスト
日記
一度に一つ
物の置き場所
読書
趣味
新しいこと
途方にくれる
メモの取り方で困る
引きこもる(蟄居)
1時間半で
自分へのお年玉
写経ではなく
メガネが三つ
中核症状
第5章●桜の花の下でお茶をいただきながら
―ブログへの思いと方法
桜の花の下でお茶をいただきながら
家族の会愛知県支部25周年記念アルツハイマーデー記念講演会
日本の読者の皆様へ
コントロール
インターネットで
ブログを冊子にして
文字が書けない
生かされて1年
文章にすると
読む立場から
ネット上の空間
失禁もどき
第6章●ありがとう笙子さん―日々の暮らしから
太ったウグイス
てんぷら
酒の肴の名前で
ビデオを見る
お墓参り
二勝五敗
鶴の一声
●コメント
今日は雨(にんじんクラブ あやちゃん)
すばらしいです(まろん)
●水木理のお薦めの本
あとがき
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まえがき
社団法人認知症の人と家族の会 代表理事 高見国生
2003年10月に元オーストラリア政府高官のクリスティーン・ボーデンさん(後に再婚してクリスティーン・ブライデン)の「私は誰になっていくの? アルツハイマー病者からみた世界」が出版されるとともにクリスティーンさん本人が来日して講演やテレビ出演したことによって、認知症の人本人にたいする関心が一気に高まりました。
しかし、このときはまだ、「文章が書けてあんなに話せる人がほんとうにアルツハイマー病なの?」という疑問の声が多く出る時期でした。私自身も、「ぼけても心は生きている」と訴えていながらも、「書ける」「話せる」ことについては信じられない思いもありました。
しかし、翌04年10月、「家族の会」が京都・宝ヶ池で開催したADI(国際アルツハイマー病協会)国際会議で福岡県の越智俊二さんが思いを発表したことによって、わが国のみならず世界の人たちの認知症にたいする認識はがらりと変わりました。それは、越智さんの語りぶりがクリスティーンさんのように流暢でなく、原稿を読みながらたどたどしか
ったということも一因だったと思います。しかもその原稿は自らが書いたものではなく、越智さんをよく知るデイケア施設長が聞き取りをしてまとめたものだったのです。
つまり、認知症の人は文章など書けない、流暢には話せない、という前提があって、それでも文字をたどりながら詰まりながら話したことがいかにも「認知症の人らしい」と感動を与えたのではないかと思っています。
その後、「家族の会」は、05年6月、結成25周年記念講演会で、広島県の松本照道さんを招いて話してもらうことにしました。松本さんも、妻が作成した原稿を読むはずだったのですが、壇上にあがったものの不安状態になりできなかったのです。急遽、妻・恭子さんが介護の日々を語り参加者に感動を与えました。
さらに05年10月、「家族の会」は世界アルツハイマーデー記念講演会に、長崎県の太田正博さんを招きました。太田さんは、主治医の菅嶋緕tと作業療法士の上村さんとともに登壇。上村さんに助けられながら、菅嶋緕tの問いかけに答えるという一問一答形式で、認知症になっても明るく生きることを語りました。原稿を見ずに語れる人が出てきたことに驚き、見事な歌声に参加者は聞き惚れました。
こうして認知症の人自身の勇気ある行動によって、少しずつ本人の思いが社会に伝わり、社会の側も認識を改めつつあった、05年11月3日、水木理さんのブログ「認知症一期一会」が始まったのです。
「毎朝8時30分 ケイタイのアラームが鳴ると、私はアリセプト5謔飲み食卓を離れます」の書き出しを見たとき、いよいよわが国でもこういう人が現れたと私は鳥肌が立つような感動を覚えました。
水木さんはアルツハイマー病と告知されて、「家族の会」に入会していましたから、さっそく連絡を取り合いました。それは、とにかくわが国で初のことであるから、きっといろいろな人が関心を持って水木さんに接触をしてくるに違いない、それらに惑わされず静かに「桜の花の下でゆっくりお茶を飲むように」ブログを続けさせてあげたい、という思いからでした。
水木さんもそのことを望み、「蟄居」をしてブログに専念したいという意向であったので、メディアからの取材申込みなどもすべて「家族の会」が窓口となって断ってきました。
ただし、ブログそのものは多くの方に見てもらいたいと思い、会報「ぽ〜れぽ〜れ」や世界アルツハイマーデーのリーフレットでも紹介してきました。
その後、「認知症一期一会」は多くの人の関心を呼び、現在では認知症の人自身や家族をはじめ専門職も含めた大勢の人たちから毎日共感や励ましの書き込みが続いています。
さて、静かにブログを書かせてあげたいと思う反面、インターネットで文字だけで思いを語るのでなく、社会に向かって直接自分の声で語ってほしいという気持ちも私にはありました。
それで、ブログ開始1年が経過したとき、06年6月の「家族の会」総会で語りませんかと呼びかけてみましたが、「蟄居を続けたい」という意向は変わりませんでした。また、同年9月のアルツハイマーデー記念講演会の際も気持ちは変わらず、そのときには会場に「認知症一期一会」の一部を映し出し、文章は事務局長が代読をするという方法をとりました。
そんなことで2年間、直接お会いすることはなく主にメールで連絡を取り合っていたのですが、07年1月末、水木さんは次のメールをくれました。
「私が『この病』と診断されてからこの3月で丸2年になります。
1月の診察では……『とてもいい……』と言われました。
落着いてきた……ということだと思います。
その言葉を真に受けて……私は、私の『蟄居』を解こうと思います。
そして……
お役に立てることがありましたら……
この身をさらしてもいい……と思うようになりました。」
「蟄居を解く」「この身をさらしてもいい」―私は、唸りました。水木さんの決心の深さを感じました。考えて考えて考え抜いて決断されたのだろう……。
そして4月、水木さんは初めて妻・笙子さんとともに「家族の会」事務局を訪ねてくれました。ブログの内容、文章から想像していたとおりの理知的な紳士でした。「笙子さん」もペンネームだということも初めて知りました。「夫唱婦随」と言うべきか「婦唱夫随」と言うべきか、それとも「対等平等の夫婦」と言うべきか、それらが綯い交ぜになったような絶妙のご夫婦、というのが私の印象でした。
「蟄居を解く」とは言ったもののわれわれに会うまでは多少の迷いはあ ったようですが、話しあう中であらためて気持ちを固められたようで、2ヵ月後の「家族の会」総会で話すことを約束してくれたのです。
本書冒頭の「孤立しないために」の話は、このような経過を経て実現したものです。
水木さんが05年にアルツハイマー病と告知を受けてからの気持ちや日々の暮らし、ペンネームにこだわる理由、「蟄居」を解いたときの感想などは、私がここで紹介するより本文でみなさん自身が受けとめ知ってほしいと思います。
ただ、水木さんのブログを読み、いろいろとやりとりをしてきたことを通して、私は思います。
認知症のことは認知症の人に聞け、ということです。当人しか分からない日常の些細な不便さ、微妙な心の動きがあります。本人たちのことを知らずにどうして「ぼけても安心して暮らせる社会」が到来するでし
ょう。
もうひとつは、いま、ブログを書いたり思いを語ってくれている人たちの心を知ることは、すでに病が進行し自らは思いが語れなくなった人たちの心をも知ることであるということです。どの人も、同じ思いを持ちながら進行して行かれたはずです。表現はできなくなってもその気持ちはいまも持ち続けておられると思うのです。書ける人、語れる人の心を知ることは、すべての認知症の人の心を知ることなのです。
この「まえがき」で名前をあげた方だけでなく、全国では多くの認知症の人が、思いを語っておられます。それぞれに家庭事情があり、隠したいと思う気持ちもあっただろうと思います。それでも、自分のためだけでなく仲間のために、そして今後に発症するかもしれない人のために、勇気を出して語っておられるのです。
水木さんだけでなく、それらのすべての人たちに敬意を表し、感謝します。
◆◆◆関連記事◆◆◆
・朝日新聞 2007年9月16日版
・京都新聞 2007年9月16日版
・毎日新聞 2007年9月16日版
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