| まえがき
序 章
1 両親との会話――最初の八年間
2 オーラフとクリスティアーネが知り合う
3 診断
4 治療
補説その1 マックギニス法
5 最初のことば、そして少しばかり自信がつく
補説その2 意識と学習
6 ある危機
7 オーラフの会話の仕方
8 奇妙な言語行動
補説その3 言語と時間
9 オーラフの内的時計――第一回目の測定
10 発音の向上
11 新しい友だち
12 一年後の語彙と文
補説その4 健常な言語発達
13 多くの新しい単語と短い文
14 話すこと、内的言語と思考
15 オーラフの内的時計――第二回目の測定
16 オーラフが社交的に、すすんで話すようになる
17 イントネーションをもっとよくしなければ
18 人形と遊ぶ――おぼろげな記憶
19 人形と遊ぶ――オーラフは苦しみ、闘う
20 人形と遊ぶ――魂は成長する
補説その5 子どもの失文法
21 オーラフの内的時計――第三回目の測定
22 自分という意識と触れ合いへの欲求
23 クリニックとの別れ
24 新しい学校での再会
25 両親との会話――現在と未来
あとがき――日本語版によせて
訳者後記
◆◆◆関連記事紹介◆◆◆
・教育医事新聞 2007年9月25日版
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まえがき
ことばはなによりまず、ヒトを私たちが知っているような人間というものにします。人は多くの世代が為しえてきた仕事を、ことばを通してはるか遠く離れた過去の暗い闇にまで遡って経験することができます。人はこの上なく入り組んだ人生を、ことばを用いてコントロールすることができます。それを用いれば、自分の感情をこの上ない微妙な色合いで表現することができるのです。ことばは人の思考と認識、そして物と他者との関わりに影響を与えるのです。どのような人間であれ、その人のことばは社会的なものであり、同時に私的なものなのです。
子どもはことばを簡単に獲得します。それもほとんどひとりでに、です。一歳で最初の語彙を口にし、その後じきにもう短い文を口にします。世界は経験され、その経験はことばに移し置かれます。子どもが三歳、四歳あるいは五歳になると、私たちはもう長い会話ができるようになります。子どもは自立し、パートナーとなります。つまり、小さな人間というわけです。
では、話すようにならない子どもはまともな人間ではないのでしょうか。子どもを愛する人は、この質問にびっくりして否というに違いありません。しかし、そういう子どもと実際関わっている人たちはどう思うでしょうか。子どもはなにも理解せず、話すこともしません。ちゃんとさせることは大変むずかしいのです。どうしてこの子は出し抜けに叫び出すのだろう。次の瞬間、黙りこくって自分の内に閉じこもってしまうのはなぜだろう。この子はどうしようもないのだろうか。将来どうにもならないのだろうか。
両親は心配して我が子の発達を見つめます。初めてのおすわり、立っち、よちよち歩きに注意を注ぎます。しかし、とくに注目するのは最初のことばなのです。育児書にはこうした能力に相応する年齢がリストアップされています。期待していた行動が遅れたり、場合によっては全然現れてこないと、その驚きは大変なものです。小児科医は安心するように、もう少し待つようにと言います。どの子もその子なりの発達の道すじがあるのだから、と言います。これは正しいのです。
しかし、標準から逸脱するあまり、詳しい診断や特別な介助、育成援助が必要となれば、その日をいつ見極めればよいのでしょう。せっかちに反応すれば、逆に傷つけかねません。手をこまねいて待っていることとほとんど変わらないのです。病気でもないのに、子どもにはそのレッテルが貼られかねません。あるいは、専門的な治療を受けるまで、価値ある時期を無駄に過ごすことにもなります。
子どもは二歳。でも、一言も話しません。その子がまったく健康で、たいていの二歳児と同じように振る舞うなら、まだ通常の発達圏内にあります。愛情を注ぎ、熱心に話しかけてやれば、その後何ヵ月か後には話せるようになるのがたいていのケースです。逆に子どもが特異な行動をとったり、無感動な様子、あるいはそれとは逆にひどく落ち着かないように見えたり、その子の動きが多動だったり、ぎこちないように見えるなら、また、聴こえになにか異常でもあるようなら、その時は十分に注意する必要があり、なんとしてでも医者に相談しなければなりません。
振り返ってみて初めて、自分で決定することの正しさが分かってくるのです。周囲から気休めを言われたら、どうすればいいでしょうか。万一、気をもまないで、すべては納まるところに自然に納まるのだから、と医者が言ったら。あるいは、どの治療も効果がないままだったら、どうすればいいでしょうか。答えは単純そうです。あきらめないこと、人の助けとなり、また、助けを求めること。でも、このように振る舞うことはいかに困難か、だから疲れ果て、あきらめてしまうことも決してめずらしくないのです。
障害児の両親、教育者、セラピストたちに勇気と力、そして希望を与えたい、この本はそういう意図で書かれました。誠実であろうとする勇気、耐え忍ぶ力、治癒への希望を、です。本書が示していることは、たとえ治療が遅れても驚くべき効果はもたらされるということです。そして、ことばに障害のある人たちと身近に触れ合うことのない読者は、障害をもった一人の子ども、その子のことばが発達し、世界の見方が発達すること、そしてそもそも彼の幸福と不幸とはなんだったのかを理解できるようになることでしょう。
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