子どもの脳死・移植


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子どもの脳死・移植 杉本健郎●著
定価 1890円(本体価格1800円)
ISBN4-87699-756-X C0047

●小児神経専門医・ドナー家族として、18年間の模索からの提言

  子どもの交通事故死から腎移植のドナー経験と、子どもの権利を擁護する小児科医、 重度脳障害児者を診療する医師として「脳死・移植」の問題点と課題を提言。 臓器移植法から6年、「子どもの脳死・移植」を家族の同意で可能とする動きの中で、 今、何が問われているかを、鋭く問う!

●もくじ ●内容紹介
はじめに
   ──「子どもの死を考える」フォーラムから 

第1章 「子どもの脳死・移植」を考える 

1 臓器移植法から6年──いま、何が問われているか? 
2 海外で心移植を求める子どもたち 
3 脳死診断は難しいか──1985年診断基準に問題はないか? 
4 小児の脳死診断は可能か──2000年の診断基準案は確かか? 
5 子どもがドナー・レシピエントになる時、親の意見だけでよいのか?
   ──子どもの合意はどこまで 
6 子どもの死に立ち会う小児科医はどう考えているか? 
7 脳死基準を満たして移植合意しなかったらどうなるのか? 
8 脳死と植物状態はどこが違うか──重度の脳障害児とはどう違うのか? 
9 ドナーカードは増えているのか──どうして死体腎移植は増えないのか?

第2章 子どもの死に立ち会って
    Back to the 1985.3 『着たかもしれない制服』の「父より」 

第3章 ドナー家族の模索・思考のプロセス 

1 臓器提供へ至った経緯──剛亮死後1年(1986年) 
 (1) 死後一年
 (2) 臓器提供へ至った経緯
2 あるレシピエントからの手紙──剛亮死後2年(1987年) 
 (1) レシピエントの母親から来た手紙
 (2) 手紙を読んだ母親の想い
3 『剛亮の残したもの』あとがきから──剛亮死後3年(1988年)
4 東大五月祭「日本の脳死」から──剛亮死後五年(1990年)
5 脳死・死に逝く側からの発言
  ──剛亮死後12年・臓器移植法成立直前・カナダ・トロントから(1997年)
6 小児ドナーの問題点──剛亮死後16年(2001年)
7 あらためて今、心情のまとめ──剛亮死後一八年(2003年)
 (1) 18年間の心情の分析
 (2) 家族の悲嘆についての文献

第4章 子どもの脳死状態とは?──知っておきたい基礎知識 

1 脳死状態とは? 
 (1) そもそも「脳死」とは? 
 (2) 診断基準について
 (3) 脳死判定後
2 慢性脳死状態 
3 遷延性/持続的植物状態 
4 超重度脳障害児者 
5 医師として「脳死」を考える 
 (1) 死の場面の変化と家族との対応
 (2) お互いの生き方で共感できる社会に

第5章 「子どもの脳死・移植」の課題 

1 子どもの権利条約と子どもの脳死・移植 
2 意見表明ができる子どもの年齢 
3 先進各国の脳死・移植──主に子どもについて 
 (1) カナダ・トロント
 (2) スウェーデン 
 (3) デンマーク 
 (4) 国際心肺移植会議・アメリカ

第6章 「子どもの脳死・移植」への提言 

1 人権を守る立場からの「子どもの脳死・移植」を 
2 子どもの意思表示を前提とする臓器移植法改正案の提言 

 

 あとがき

 剛亮との無言の会話が始まってから一八年が過ぎた。その期間はすでに、私が小児 科医になって以来、経験してきた時間の過半数を超えた。あれ以来剛亮に背中を押されながら、考え、行動してきた。著者自らがいうのはおこがましいのだが、『着たかもしれない制服』は貴重な文献である。絶版になったとき、剛亮との会話が絶たれた 気持ちになったものである。それが今回の出版で親としての肩の荷もずいぶん軽くなった。前々から計画していた出版ではあったが、なかなか書き出せなかった。今年は臓器移植法改正で、一五歳未満からのドナーも可能にする討論が待っている。ここで黙っていては剛亮が怒る。
 当時九歳だった姉は医療職についた。死後五年後に生まれた弟は今春から中学生に なり、身長は父親を超えた。
 剛亮の最後の言葉を聞いてくださった当時の友達の母親である「おばちゃん」は、 毎年の命日と、おそらく自分の息子の区切りとなる「行事」ごとに剛亮を思い起こしてか、きれいな花束を送り続けてくださる。剛亮の死は「おばちゃん」の人生にも影響を与えたのだろう。
 私の仕事にも影響は大きかった。この五年、英語の医学的論文はほとんど書いていない。以前の僕の医学的な専門分野は、僕がやらなくても世界の他の研究者が仕事をするだろう。今は僕にしかできない仕事をしているつもりである。それは学生時代からめざしてきた社会医学の視点が大きなウエイトを占める仕事である。だから毎日が 楽しい。もちろん診療は続けている。たくさんの障害をもつ子どもたちと一緒に、僕もまた年を取ってきた。今や神経の専門外来は約半分が成人年齢である。外来は「小児科」でありながら「成人障害者支援外来」になっている。これでいいと思う。
 特にトロントから帰国後のこの五年は、社会的な課題に専門家として打って出る必要性を感じた。
 日本小児科学会倫理委員会での「子どもの脳死と移植」「子どものいのち」「子どもの意見表明権の保障」の取り組みであり、日本小児神経学会社会活動・広報委員会 の「障害児者の支援」「医療的ケア」などの取り組みでもある。NPO的組織としての 「保健・医療・教育・福祉のネットワーク」勉強会も大阪、京都で立ち上げた。そして愛知や神奈川にもひろがっている。障害児者の専門家としての支援が今後の柱にな る。 『北欧・北米の医療保障システムと障害児医療』(かもがわ出版、二〇〇〇年)に書けなかった事件がある。夏休みにトロントから車で五時間以上かかるニプシム湖へ 家族四人で出かけたとき、中古カムリで田舎の一本道の緩い下り坂を時速八〇〜九〇キロぐらいで快走中、ある別荘から一匹の白い犬が飛び出した。運転手はとっさに 「ひき殺してはいけない」と判断し、ブレーキを踏む。「止まらない!」。車は家族 を乗せて崖下へ転落。前後一回転して立木にあたって止まった。
 たぶん数秒間だったが、その時間は長く感じられた。
 生きていた。四人とも無傷で生きていた。犬も無事だった。たぶん剛亮が守ってく れたのだろう。天国での再会はまだ早いと。
 残された人生はそんなに長くないかもしれないが、剛亮にあの世で再会したとき、 「おまえの分まで楽しく生きたぞ」と報告できるように、毎日を前向きに生きていく つもりである。
 最後に、本書の出版を気持ちよく了解くださったクリエイツかもがわの田島英二氏 校正・編集に貴重なご意見をいただいた真鍋宗平氏にお礼申し上げる。そして校正を手伝ってくれた杉本千尋に感謝する。
 

※著者のホームページ
 http://web.kamogawa.ne.jp/~sugimoto/
*本が確実に入手できる書店:
 ワニコ書店 守口市紅屋町5-2
         電 話 06-6996-6800
         ファクス06-6997-0893
  最寄り駅 京阪電車滝井駅前、関西医大病院前

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