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闘病記
発病、そして手術へ
告知と化学療法の開始
体力消耗・筋力低下との闘い
多くの人に支えられて
こころは揺れ動く
CT結果は「寛解」
リハビリとお礼の旅へ
再び、マラソン大会挑戦
まさかの再発
明日のために
治療再開
がんと共存して生きる
手話通訳を仕事として
手話通訳者と聴覚障害者
サポートを受ける側の心理
結論がほしいのではない
「わかりました」の裏にあるもの
その人らしい人生を歩む伴走者として
手話通訳者自身の成長
あの頃を振り返って(聞き手・池上睦)
幼い日の思い出
なりたかった学校の先生、そして挫折
結婚
手話を学ぶ――「野口公民館手話学習会」のころ
兵通研(兵庫手話通訳問題研究会)との出会い
専任手話通訳者になって
高齢世帯生活援助員としての仕事
手話と性格
残してほしい手話通訳者の思い
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はじめに
思えばドラマのような展開だった。晴天のへきれきともいうべき医師の言葉から、私の闘病は始まった。巷にはその病気と闘っているたくさんの人たちの情報が溢れており、決して珍しいものではない。しかし、自分の身の上に起こるとなると、それはまったく次元の違う問題になってしまう。
もしや……と病院の外来を訪れ、まさしくその「もしや」が、的中したのだ。それから私の生活は一変した。それは手話通訳者としても、今までの考え方そのものを百八十度変えてしまうほどの激変の日々となった。これまでは、心身ともに人一倍タフを自認していた。「手話通訳はろう者の目線で……」と言い続け、それを実践してきたつもりだった。しかし、実際に自分が、サポートを受ける患者の身になってみると、自分の言ってきたことが本当に表面的なものであったことに気づかされた。この体験を通し、サポートを受ける側から見た私自身の手話通訳援助の実際についても、提案できたら、と思っている。
つたない文章力でどこまで伝えることができるか、皆目自信はないが、書かないではおられない、こころの内から湧き上がってくるものを残したい。
大西 康子(おおにし やすこ)
◆略歴
1947(昭和22)年1月28日生まれ
1983年 手話サークル「しゅわっち」初代代表
1990年 手話通訳士試験合格
1992年 加古川市専任手話通訳者、
兵庫県手話サークル連絡会会長
2002年 高齢世帯生活援助員(SCS)
◆趣味
山登り、旅行、ジョギング、書道、
ちぎり絵、手芸、短歌
◆◆◆関連記事◆◆◆
・神戸新聞 2007年1月17日版
・いくおーる【EQUAL】 2007年2月号(No.71)
・朝日新聞 兵庫面 2007年2月17日
・朝日新聞 兵庫面 2007年2月21日
・季刊みみ 第115号 2007 SPRING
・大阪保険医雑誌 2007年4月号(No.483)
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