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はじめに
第1部 重症児の心に迫る授業づくり 三木裕和
第1章 子どもたちの姿
1 一粒で二度おいしい
2 主体性ってなに?
3 体を通して心に働きかける
4 イマの中にイミを見つける
5 幸せのにおい
6 結果が出るまでが楽しい
第2章 重症児教育への視点
1 心と体の統一的存在
(1)体が心を支配する (2)心が体の先を行く
2 重症児の授業
(1)時間割 (2)授業の目的 (3)授業の形成過程
(4)授業の反省、学習評価
第3章 競争社会と障害児教育
1 人格的存在として子どもを見る
(1)「自分という不思議」 (2)「自我の誕生」
(3)「人知りそめし微笑み」
(4)人格的存在として接する
2「この仕事の一番おいしいところ」
3 人間を大切にする文化
第2部 生きる=生活の意味を育む教育実践 原田文孝
第1章 要求の長き眠り―授業づくりの視点
1 顔に触られるのが嫌いなもとちゃん
2 なぜ、もとちゃんは笑ったのか
3 なぜ、ほほの感じ方が変わったのか
4 もとちゃんから学んだ授業づくりの視点
(1)子どもの課題をどうとらえるか
(2)どんな文化との出会いを用意するのか
(3)わかる授業をつくる
第2章 二一世紀のいまを生きる子どもたち
―教育課程づくり
1 過ぎたるは及ばざるが如し
2 チューリップグループの教育の進め方
3 子どもの実態を授業の視点からつかむ
4 すべての授業でめざす子ども像
5 二一世紀のいまを生きる子どもたちに伝える
6 子どもたちに育てたい心と力
7 子どもたちに伝えたい文化のまとまり
資料/チューリップグループの教育の進め方
第3章 重症児の授業づくりの実践
1 実践1 愛情を伝える授業
―「自分・交流」の授業
(1)愛されべたの子どもたち (2)愛情を伝える
(3)授業「かたたたき」
2 実践2 からだでの響き合いを伝える授業
―「からだ」の授業
(1)からだの響き合いが苦手な子どもたち
(2)からだの文化論
(3)授業「高くな〜れ」「よくきたね」
「おしくらまんじゅう」
(4)まとめ
3 実践3 人と人とが落ち合う言葉の授業
―「ことば」の授業
(1)言葉だけでは安心できない子どもたち
(2)言葉・歌は人と人とが落ち合う場
(3)感動で伝える
(4)「ラップで言葉あそび」の授業
(5)「手をたたきましょう」の授業
4 実践4 スローライフを伝える「せいかつ」の
授業―「せいかつ」「訪問教育」の授業
(1)生活経験の限られている子どもたち
(2)生活経験の浅い子どもたち
(3)スローライフを伝える (4)スローな授業づくり
(5)「ぬくぬくさん」の授業
(6)「みんなで食べよう」の授業
(7)訪問教育での「せいかつ」の授業
5 実践5 わがケアは魂におよび
―医療的ケアの教育実践
(1)子どもの内面形成に責任をもつ
(2)子どもの側から発想し、出発する
(3)学力として発想する(医療的ケアの学力論)
(4)医療的ケアの教育実践を構想する
(5)医療的ケアを教育課程に位置づけて実践する
(6)「医療的ケアの学力論」の実践を通して、
子どもと教師が育ち合う
あとがき
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はじめに
一九七九年、養護学校義務制の年に私は教員になりました。着任した養護学校では、職員会議で「紙オシメを替えることも教育である」ということについて、是々非々の論議がされていました。その頃は、休み時間になると保護者が教室にやってきて、自分の子どもをトイレに連れて行っていました。まだ、紙オシメをしている子どもは少数でした。
あれから三〇年が過ぎました。「紙オシメを替えることも教育である」という教育観と実践は発展させられたのでしょうか。確かに排泄指導の中に、紙オシメを替えることを位置づけて取り組まれています。しかし、「紙オシメを替えることも教育である」という教育観が提起したことは、それだけだったのでしょうか。
生活する上での「世話」「介護」と思われていた紙オシメを替えることが、実は教育の重要な中身であるという教育観の転換は、「教育にとって生活とは何か」「子どもにとって世話、介護とはどういうことか」を問い直すことだったと思うのです。生活や介護を文化の視点でとらえ直すことで、教育のあり方を問うことだったのです。
一方、「紙オシメを替えることも教育である」という教育観は、紙オシメをしている子どもを世話・介護される対象ではなく、紙オシメを替えて気持ちよくなったことを学ぶ主体者としてとらえることを提起したと思うのです。子どもを主体者としてとらえ、人格的存在と位置づける子ども観(人間観)が、どこまで発展させられたのでしょうか。
第1部の共同執筆者の三木裕和さんは、施設での訪問教育の実践から重症児の内面をていねいにさぐり、目に見えない心を見えるように代弁されてきました。三木さんは、重症児の心を発見し、心がどのような悩みやねがいに満たされているのか、どのような働きかけでその心が動き出すのかを、私たちにわかるように伝えてくれました。子どもを人格的存在ととらえる視点をさらに発展させ、今回、改めて提起しています。私はいつも三木さんの子どもを深くとらえる視点に刺激され、子どもの視点を問い直してきました。
第2部の私原田は、この間の授業づくりをまとめ、教育課程づくりと授業づくりを結びつけて体系的に提起してみました。また、医療的ケアについても、「医療的ケアの学力論」として考え方、実践のあり方を提案しています。
養護学校義務制から一三年目に『重症児の心に迫る授業づくり』(かもがわ出版)を出しました。その延長線上にこの本はあります。本書はまた、私たちの養護学校義務制三〇年のひとつのまとめでもあります。
私たちの子ども観(人間観)、教育観、実践に対する忌憚のないご意見をお聞かせください。
二〇〇九年七月
原田 文孝
◆著者プロフィール
三木 裕和(みき ひろかず)・・・第1部
1955年兵庫県生まれ。関西大学文学部哲学科卒業。2000年、兵庫教育大学大学院学校教育研究科障害児教育専攻修士課程修了。1983年、兵庫県立氷上養護学校中町分校(現北はりま特別支援学校)のぎく訪問学級を経て、現在、兵庫県立出石特別支援学校教諭。著書に『人間を大切にするしごと―特別支援教育時代の教師・子ども論』(全障研出版部)。共著に『重症児の心に迫る授業づくり』(かもがわ出版)、『重症児―思春期からの医療と教育』(クリエイツかもがわ)、『自閉症児のココロ』(同)ほか
原田 文孝(はらだ ふみたか)・・・第2部
1956年岡山県生まれ。仏教大学文学部教育学科卒業。兵庫県加古川市立加古川養護学校教諭。共著に『重症児の心に迫る授業づくり』(かもがわ出版)、『障害の重い子どもの教育実践ハンドブック』(旬報社)ほか
◆◆◆関連記事紹介◆◆◆
・教育医事新聞 2009年9月25日
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