道きりひらく わが人生 ―弱視から盲へ


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道きりひらく  わが人生

西岡恒也 著
定価 1680円(本体価格 1600円)
ISBN978-4-86342-024-3 C0036

●『全開わが人生』続編――復職・定年・作業所づくり
●障害者の権利保障運動のルーツを解き明かし、不透明な現代に勇気をあたえる!

●もくじ  

はじめに
1 現場復帰はしたものの……
2 盲人の雇用を放っておいていいのか
3 『あの夏の朝から』出版前後
4 五〇代に入った私の身辺事情
5 国際障害者年へまっしぐら
6 「もう登山はこりごりだ」というのに
7 親父の「告白」、お袋の執念
8 この間の雇用連運動と政府・国会の対応
9 ゆがんだ大阪市政に障害者・家族の一撃
10 ついにできた豊中障連協
11  あまりにも早い妻の旅立ちとその後の私
12  豊中障害者共同作業所の発足
13  幸運に恵まれた豊中作業所の揺籃期
14  みんなを驚かせた私の再婚
15  作業所発展への基礎固め
16  三年の歳月をかけて完成した大阪障害者センター
17  阪神淡路大震災での驚きとその後
18  息子のとんだ親孝行「幸せさがそ」
19  共作連第二〇回大阪大会の成功
20  障害者運動の発展は社会正義実現への道


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しんぶん赤旗 2009年6月14日 ほんだな欄

あとがき

 私は二〇〇一年の秋に、弱視の記第一巻、第二巻を出しました。これは言わば私の人生の第一ラウンドと第二ラウンドに当たります。
 今回わが生涯の友人鴨井慶雄氏(前大阪千代田短期大学副学長)からのたっての勧めで、第三巻を出版する運びとなりました。当初、私は今の世の読書力の低下と運動史への無関心を理由にあまり気がすすまなかったのですが、鴨井氏は「それでも書いて残しておくべきだ。必ず読む人が現れる」と言いました。実は私は第一巻と第二巻の執筆の時は十万字余りをパソコンで打ち込み、ネットで鴨井氏宅に送ったのですが、その後、妻の入院や介護に明け暮れて一年半が経ち、折角頭と指先が覚え込んだパソコンを、行がえもできぬほどに忘失してしまいました。そこに最近の視力低下です。印刷物はみな白紙と化し、自分の書いたものがさっぱりと見えなくなってしまったのです。息子の「字は書けていた。読めるからだいじょうぶ」という言葉だけが頼りとなりました。
 見えなくなった視力を補ってもらうことを条件に、執筆に取り組み始めたものの、書き始めて一、二か月目に風邪をひき、一時はあきらめようかとも思いました。しかし、身近に励ましてくれる人もいて、初夏の頃からはピッチもあがって、ついに脱稿までたどり着くことができました。およそ一年の苦闘の末、やっと第三巻を書き終えて、ホッとしているところです。この間、鴨井氏には、書きなぐりの読みにくい字を解読してパソコンに打ち込む作業を引き受けてもらいました。
 病妻の久枝も、介護者の私も八〇歳に達しました。介護にも病気回復の夢を託し、私も迫り来る老いに打ち勝つための毎日を過ごしています。人間、欲にはきりがないもので、こうなると、また、人生の第四ラウンドを書いてみたいと思うようにもなりました。夫婦がお互いに老いというものに向き合って、それこそ毎日の生活が一年、二年という単位で変化しながら過ぎていきます。医療との付き合い、介護との付き合い、めまぐるしい社会の中での変化をゆっくりと受け止めて生きていくのですが、それがいつ、どこで、どう途切れていくのか、年寄りの希望とはどんなことなのか、などを書いてみるのも面白いのではないかと。幸い、鴨井氏も長生きの相なので、共に百までも生きて、人生の第四ラウンドを百歳記で出せたらと思ったりしています。

(著者あとがきより抜粋)

西岡恒也(にしおか つねや)プロフィール

1928年大阪府生まれ。1954年法政大学法学部卒業。
1948年大阪市立盲学校実習助手、1956年教諭。1959年勤評闘争により懲戒免職、1976年復職。1986年同校定年退職。
1986年から2000年まで豊中障害者作業所運営委員長。
これまでの役職として、点字民報社代表、全日本視覚障害者協議会事務局長、大阪市立障害児学校教職員組合委員長、障害児者を守る全大阪連絡協議会代表、きょうされん大阪支部運営委員長、NPO大阪障害者センター理事長などを歴任。
1987年度ヘレンケラー福祉賞受賞。

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